エディットを前提としたレコーディングは果たして?
【Pro ToolsやAuto-Tuneに頼らない。出来るまで歌いきる。】の記事でも書きましたが、音楽制作者側はボーカリストがキチンと歌えなかったとしても、「あとは直せばいいね」となって、エディットを前提としたレコーディングを行う傾向がなきにしもあらずだと感じています。
実はこのような傾向は、スタジオミュージシャンなどの演奏テクニックがバリバリのはずのプロの現場でもあったりします。
「時間がないから3番のサビは1番のサビをたたいといて」などと発言するミュージシャンが、ほんとたまになんですがいらっしゃったりするんですね。(「たたく」とは「Copyする」という意味です)
それを制作者側もアレンジャーも「しかたないかな~」と認めてしまう。
ストリングスやホーン、ドラムなどをレコーディングする場合、ブースが広めで料金も高いスタジオを使用するので、当然時間がかかる程、より料金がかさんでしまいます。
予定時間内に終わらせなければならないということから、そうなるんですが・・・制作費管理は大事なので。
しかし演奏すればしっかり出来るはずなのに、手を抜くというわけではないですが、エディットに依存してしまう。
これでいいのでしょうか?寂しい気持ちになりますよね。
2000年前半ぐらいまでは、デジタルテープレコーダー「SONY 3348」でレコーディングしていたので、Pro ToolsなどのDAWソフトのようには簡単に編集できなかったので、そんなことはほとんどありませんでした。
SONY3348デジタルレコーダー
音楽の抑揚・ヒューマンさ
楽曲的にグリッドにピッタリ合った、打ち込みの様な演奏が欲しい場合は積極的なエディットということでありだと思います。
音楽ジャンルによっては逆に編集した演奏でないと良くない場合もあります。
また部分的に同じ演奏を貼り付けた(Copy)した方が、カッコ良かったり音楽的な場合があるのも確かです。
ただ本来は、楽曲が1番2番3番となるにつれて起承転結のストーリーがあった方がイイと私は思いますし、曲の盛り上がりとともにフレーズが変化していった方が演奏にダイナミクスが加わり、より人に感動を与えられると思います。
人間は全く同じ演奏は出来ないので、同じフレーズを弾いたとしてもそこにヒューマンさが生まれます。
デジタルで何でも同じものが機械的に作り出すことが出来る時代だからこそ、余計に人間の曖昧さも必要なんだと感じています。